人生日記劇場

セミリタイアを目指したいが、今すぐ無職にもなりたい20代後半男性の日記

教師になる人間が理解できなかった

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小学校の教員になる人間が減っているというニュース記事を読んだ。

news.yahoo.co.jp


全国的に志願者が減っていて労働環境の厳しさが一因らしい。ただでさえ仕事が多く長時間労働になるのに残業代がつかないらしい。それでもなりたがる人間がいるというのはやはり勤務形態ではなく仕事内容に魅力を感じているからだろう。勤務環境は早急に改善してほしいと思う。これには実感がある。

小学校に限らず、昔から教師になる人間が理解できなかった。理由は3つほどある。
1. 教育は暴力であり、快楽であると思っているから。
2. 人に何かを教えるのが苦手だから。
3. 学校生活を通じて先生によい印象がないから。
4. 1~3が交互に作用しあっているから。

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1つめ。
教育とは一種の暴力だと考えている。持つものが持たないものに影響を与えることだから。また、啓蒙することは本質的に「快楽」であると思っている。教えることは暴力であり、それは気持ちいいのだ。学校とは大人が子供に合法的に暴力を振るう機関なのだ(これはさすがに陰キャすぎる)。
誰かになにかを教えるとき、少なからぬ優位性を感じることはないだろうか。「教えて下さいお願いします><」「しょうがないなあ~^^」
(これは人に頼られる優越感と、教えることそのものの優越感をごっちゃにしそうな例なのでよくない、だがその2つも元は同じではないか?)
偉い人のスピーチが長いのもこれだと思っている。あとは教えたがりおじさんとか。
一度意識してしまうとそんな人間になれない。

2つめ。
コミュ障だからというのもあるが、他人に影響力を行使するということがどうも苦手だった。教える立場となったことは数えるほどしかなかったが、それでも嫌な気持ちになったものだ。これは1つめの言い換えかもしれない。すなわち、他人に影響力を行使することが苦手=コミュ障=教育を暴力と捉える。

3つめ。
自分の学校生活には学校の先生によい印象を持つきっかけになりそうなイベントがなかった。というかそもそも先生と関わり合いになりたくなかった。関わり合いになりたくないがために素行不良はあまり起こさなかったし、学業でつまづくこともなかったから相談したりすることもなかった。部活もやったりやらなかったりしたが、積極的に交流することはなかった。いじめもなかった。本当に「カリキュラムを指導するだけの存在」として扱っていた。当たり前だが、そんなクソ生意気な陰キャに親身にする先生などいない。いるかも知れないが自分には当たらなかった。むしろそんな生徒を生徒として扱ってくれた先生は聖人であると今では思う。

4つめ。
コミュ障だから、教育は暴力などという自己正当化に走る。教育は暴力などと考えているから、先生と関わりが少なくなる。先生との関わりが少なくなるから、歪んだ考えを持ち、コミュ障になる。以下繰り返し。
公教育は小学生から始まる。小学生のはじめから歪んでるはずがあるか?周りの大人のせいではないか?だが最初から歪んでいたのだと思う。

最後になるが、この文章は現役そして未来の学校教員を貶すものでは決してない。人間がよりよく生きるためには適切な教育が必要である。子どもたちのためにも早急な勤務環境の改善を望む。

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