人生日記劇場

セミリタイアを目指したいが、今すぐ無職にもなりたい20代後半男性の日記

社会に生きるなら社会を受け入れ愛さなければならないのか?

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生きていると嫌なことが多い。怒られたとか店員に舌打ちされたとか。しかし嫌なことそれ自体はそれほど気にならない。気にならないというと嘘になるけど、まあそういうこともあるよな、虫の居所が悪かったんだろうなと考えることで精神の安定を得ることができる。そうする訓練をしている。
上の例は人間関係に関するものだが、幸運なことにお金に関してはあまり困ったことがない。収入は多くないが欲が少ないため生活自体に困ることがない。

それ以上に精神に堪えるのは、嫌なことを生み出す原因に自分も加担しているという事実である。嫌なことを突き詰めるとたいてい社会構造に原因があることに気がつく。お金を得るために働かないといけないし、働くから余計な人間関係が生まれる。低賃金長時間労働だって、少子高齢化とか新自由主義とかそういうところに問題がある。
社会の悪いところは声をあげて変えていきましょうというのが正しい態度だと思うのだが、どうしても社会を変えていきましょうという意識がでてこない。なんでこんな無理ゲー社会を押し付けられて、押し付けられた側がそれに取り組まないといけないんだ。まずはお前らがやれよ、と。社会を変えようとする態度を持たないのに、社会に生きている。社会を受け入れられないのに受け入れている。その矛盾を認識することにものすごいストレスを感じる。新型コロナウイルスの患者が増えているのにオリンピックをやる、みたいな矛盾を社会から突きつけられることにも強いストレスを感じる。しかし自分も人に矛盾を与える側でもあるのだ。

これを解決するには社会を受け入れないといけないのだろうか?ジョージ・オーウェルディストピア小説1984年の最後の文に「確かにビッグブラザーを愛していたのだ」というのがある(それが一番印象に残っている)。社会を受け入れ愛することで矛盾を認識せず心穏やかに過ごすことができるようになるのだろうか?ジョン・F・ケネディも国が自分になにをするのか問う前に、まず自分が国に何ができるかを考えてほしいと言っていた。求めよさらば与えられん。

または社会から逃げればよいのだろうか?「じゃあ社会から離れて暮せばいいじゃん。山奥で暮らしてる人いるでしょう」
それとてまったく社会から隔絶されるわけにはいかない。どうしても接点が生まれる。いいとこどりをしていこうみたいな考えもできなくはないが、それを徹底できない。ゼロイチで考える悪い癖。

現実的にはいいとこどりをして、だましだましやっていくしかないのだろうか?しかしこの不安定なだましだましはいつまで続けられるのだろう。

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