人生日記劇場

セミリタイアを目指したいが、今すぐ無職にもなりたい20代後半男性の日記

なぜ「なぜ?」という問いが出てくるのか

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「なぜ自分は自分なのか」という問題(意識の超難問)提起がなぜ起こるのか?について考えてみる。なぜ自分を特別視するのだろう?

素朴に考える。日常生活でなぜ?が出てくるときを考える。仕事で怒られるときなんかどうだろう。「なぜそんなことをしたんだ」「なぜそんなこともできないんだ」
これは裏返せば、「私(いけ好かない上司)はあなた(怒られる私)がそんなことをしないと思っていたが、あなたはしてしまった。」「私はあなたがそれができると思っていたが、あなたはできなかった。」ということであると考えられる。
理想と現実にギャップが生じているとき、期待に対するズレを認識したときに「なぜ?」が出てくる。これは反語表現かもしれない(Why don't you~?)。別の例を考える。子どもが親に聞く。「なんで空は青いの?」
これは「なんで赤や黄色じゃなくて青なの?」ということだと思われる。
赤や黄色の空もありうるという別の可能性を認識している。その上で「なんらかの理由で空は赤や黄色ではなく青なのだ」という理由を欲しているものと考える。
つまりものごとに関連、因果関係があることを把握している。

因果関係の把握はアプリオリだろうか?つまり、因果関係の把握は「経験に先立つもの」だろうか?アプリオリでなければ、赤ちゃんはその意識が生まれた瞬間はすべての可能性を認識しているのだろうか?お腹から出てきて泣き始めているとき、物理世界の膨大な因果関係を認識し、自分の世界を形作っているということはないだろうか?
夢野久作ドグラ・マグラという小説に胎児はお腹のなかで生物の進化の軌跡をたどってくるみたいな一節がある。人間というやつは、生命の進化をたどりすべての可能性を認識したいわば全能の状態から出発するのかもしれない。
なるほど、それだと確かに自分が特別な存在であり、この世界には自分しか存在しないみたいな考え方も出てくるよなーという気がする。

「なぜ自分は自分なのか」という問題については日を改めるとして、得られた考えの方に着目する。「人間は因果関係を見出そうとする傾向を持っている」事実を意識することがうまく生きていく一助になるのではないかと思う。
まず宗教がそうである。この世界はこういうふうにできていて、こうなっているんですよという説明を与えてくれる。人間の終末に理由を与えてくれる。説明され納得すると安心できる。精神の安定に寄与する。
ビジネスでもそうである。利益を上げるということを第一義に掲げる都合、どうすれば利益をあげられるか、またどういう方法に再現性があるかを探索することは大きな価値を持っている。なんらかのビジネス的なアクションと利益という結果に因果関係を見出すデータサイエンティストみたいな職業は高い給与を得ることができる。

いろいろとっちらかってまとまりが無くなってしまった。そもそも「なぜ」こんなことを考えたんだろう?
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