人生日記劇場

セミリタイアを目指したいが、今すぐ無職にもなりたい20代後半男性の日記

議論ができない(しない)人間の行く末

f:id:nakagawa_00:20211020210539p:plain

議論ができない。正確には議論をする気がない。だっていつも自分が正しいと思っているから。そして同じように相手も自分が正しいと思っていることを確信しているから。だったらそれでいいんじゃないか?言葉を交わす必要なんてあるだろうか?
だから意見が対立したときにとる行動は、妥協か放棄である。間違っても相手を説得や教化することはない。自分が許容できる限り相手の主張に合わせ、そうでない場合は相手が考えを自分に合わせるのを待つか、自分が離れていくかである。

そうは言っても仕事という名の強制的な社会参加をしていると、人と意見が対立することもある。大抵のことは許容できる。というか許容できるようなことしかしないように慎重に仕事を選んでいる。それ以前の段階で相手が自分に妥協するよう仕向けることもある。こいつはこういうやつなんだと。どうしても許容できないときは職場から離れる。退社、逃避、バックレ、どんな呼び方でもいいが、つまりは妥協の放棄である。相手を説得する必要がある場合もあるだろう。だが、私はそんな仕事はしない。上流工程や法律などのより大きなものから帰納的に導かれる結論を相手とゆるやかに共有するだけだ。相手に無理を通す(説得とはそういうものだと思っている)場面は存在しない。そういった半ルーティンの仕事は必然的に給料が安くなる。私はそれを許容している。許容している限り給与水準を上げる気はない。だからやはり議論はしない。

仕事以外の自発的な社会参加はどうだろう。つまり職場以外のコミュニティでの交流であるが、私にはそんなものは存在しない。だからやはり議論はしない、起こり得ない。存在しないは正確ではなく、議論を必要とするようなコミュニティに属していないがより正確だと思う。大部分が定型化されたコミュニケートを行う集団は議論を必要としない。議論の芽を意図的に排除しようとしているきらいさえある。気に食わなければ出ていけばよい。鳴き声に対する別の鳴き声の応酬による空気感を共有するだけの集団。はじめは良いが、だんだんうんざりしてくる。そういうコミュニティに属することもほとんどない。

他者と意見を交わし、議論をし、社会的交流をもつということをしない頭でっかちで周りは馬鹿で自分の頭はよいと思っているような子供人間は今後一体どういう人生を歩むのだろうか。そしてもしそんな人間が大多数を占める社会になってしまったらどんなことが起きるのだろうか。

にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりぼっち日記へ
 

Copyright (C)2021 diarytheatre All Rights Reserved.