人生日記劇場

セミリタイアを目指したいが、今すぐ無職にもなりたい20代後半男性の日記

遍在転生観を採用しよう

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世界の捉え方として、渡辺恒夫の遍在転生観を採用している。自分にとってこれが一番腑に落ちる考え方なのだ。
一言でいえば「全は一、一は全」といったところでしょうか。
すべての人間の意識・自己・魂といったものは、個々の人間にそれぞれ存在しているわけではなく、ただ一つだけ存在し、それが遍在しているので別々の魂が存在しているように見えるという解釈である。仏教とかヒンドゥー教の考え方に通じるものがある。
あらゆる時代のあらゆる人間が自分であり、好きだったあの子も嫌いだったアイツも、ずっと昔の、遥か未来の自分なのだ。
と言っても原著に当たったわけでなく、このページしか読んでないのだが。

w.atwiki.jp

どこでこんな考えに出会ったのかというと、素晴らしき日々という18禁ゲームがありまして、その中にこの考えが出てくるんですね。
それまでのぼんやり似た考えを持っていたのですが、こういう名前があるんだと感心した記憶がある。

昔から、人(あるいは生命体)の数だけ魂が存在するってなんとなくおかしいよなと思っていた。その仮定のもとでは、世界から生命体が消滅する瞬間までに存在した魂はある有限の数Xのはずである。
この世にはX個の魂がありました。おしまい。となるのだろうか?
こういう場合、
・0(魂は存在しない)
・1(魂はひとつだけ存在する)
・∞(魂は無限に存在する)
のどれかにならないといけないような気がする。
今の時点で魂の数Xだとすると、次の瞬間生命が生まれたらX+1となるのだろうか?その1は無から生まれるのだろうか?
この辺がなんとなく納得いかなかった。
遍在転生の考え方はこの疑問に納得感を与えてくれる。

上記wikiには問題点として、「じゃあなぜこの瞬間に自分は自分なのか?」という疑問が解決できないとしている。
私にはこの疑問は無意味(ナンセンス)なものに思える。自分が自分である必然性を感じない。たまたまそうなっている、以上の認識にならない。
私が私なのはきっと意味があるはずだ、という考えは、現象を数式で表現できる物理法則や、原因と結果を追求する社会的習慣にとらわれすぎていると思う。
そういう考えの延長で意識の問題をとらえるべきではないと思う。

遍在転生観を採用する別の利点は、他人にちょっと優しくなれることである。
他者はまるっきり別の存在なのではなく、根底では同じものなんだという認識のもとでは、あんまり怒りを感じなくなる(当社比
決定論的な考えに通じるところもある。宗教が説く隣人愛的なものが、哲学的な認識で得られているような気がする。みなさんもぜひ採用してみてネ!

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