人生日記劇場

セミリタイアを目指したいが、今すぐ無職にもなりたい20代後半男性の日記

「ブルシット・ジョブ」は"仕事"への理解を深めるための必読書

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デヴィッド・グレーバーの「ブルシット・ジョブ」を読んだ。すごく面白くて、読んでよかったと思った。
本書を読む前に私が得たかったのは「ブルシット・ジョブから逃れたい人間は、いったいどうすればいいのか?」に対する回答だったが、それを得られたと思う。

ブルシット・ジョブとは何か?———本書によると「被雇用者本人でさえ、その存在を正当化しがたいほど、完璧に無意味で、不必要で、有害でもある有償の雇用の形態である。とはいえ、その雇用条件の一環として、本人は、そうではないと取り繕わなければならないように感じている。」とのことである。

この「取り繕わなければならないように感じている。」というのがミソで、これが仕事を耐え難いものにしている原因なのだ。「しない方がいいのでは?」と思っちゃう仕事をすることほどつらいことはないと断言できる。たとえ給料が良くても。事例がたくさん出てくるが、どれも頷けるものばかりである。

存在自体がブルシットな完全なブルシット・ジョブだけではなく、部分的なブルシット・ジョブもある。仕事自体は意義があるが、煩雑な書類仕事が、意義ある部分を圧迫しているような場合である。本書は完全なブルシットジョブのみを扱っているため、それについて詳しい言及はないが、私は、ほとんどの仕事はこれに属し、程度の差があるだけだと思っている。

ブルシット・ジョブほど給料が高く、実質のある仕事(リアルジョブ)ほど給料が低い」のは、ほぼ直観的に同意できる。思うに、みんなうすぼんやりと気づいているこの不正義の感覚が、社会にはびこる不平不満の大本なんじゃないだろうか。

一番よかったのは、ブルシット・ジョブがなぜ存在し、なぜなくならないのかを、構造的、文化的、政治的に詳細に分析してくれていることだ。「市場原理にしたがえば、存在しなくてもいいような仕事にお金を払うような人間はいないんじゃないか?」という、半ば反射なような疑問に丁寧に答えてくれている。実際には市場原理による合理化は、一部を除き働いていない。経営封建制という言葉でこのことを説明してくれている。生産じゃなくて、徴収と分配なんだと。(痛快なので読んでみてほしい)

私にとってこの分析は、あたかも宗教的説教のようだ。「あなたが苦しんでいるのはこういうことだからですよ」というような。この分析自体が、ブルシット・ジョブに従事している状況へ対処するための剣であり、折り合いをつけて心を守る盾となる。

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最初の問に戻る———「ブルシット・ジョブから逃れたい人間は、いったいどうすればいいのか?」
グレーバーは、政治的な解決策として無条件のベーシックインカムを提案している(ここで財源は?という疑問が出てくるなら、同著者の「負債論」を読むのがいいだろう)。これには全面的に同意できるが、個人レベルでの即効性がないという問題がある。

私が得た答えは「完全なブルシットジョブは回避する。クソさと給料のバランスが許容できる仕事を選ぶ。そのとき、クソさに折り合いをつけられるよう行動する。」である。具体的に取る行動は現在と同じだが、理屈で武装できているのと、いないのとでは、心理的負担が相当軽い。
ブルシット・ジョブがブルシット・ジョブでなくなるわけではないが、そのクソさの原因をある程度把握できているなら、うまく対処できる場面は増えるだろう。幽霊は正体がわからないから怖いのであって、わかれば(怖いけど)対応できる。

本書中に、「仕事がクソなのは承知だが、生活のために辞められない」という例がそれなりに出てくる。グレーバーもそう想定しているようだ。日本なら最低限の生活費も、まだそれなりに低いし、私に養うべき家族はいないので、多少給料が下がっても全然生活できる。セミリタイア目指すぐらいなので、節約もそれなりにできる。クソ職場という「ストップワードのないSMプレイ(本書で出てくる私のお気に入りの表現)」での、唯一のストップワード辞めてやる」を言えるのだ。
一番いいのは、それなりに資産を作ったあと、耐えられる範囲で実質のある仕事をすることだろう。必要最低限の社会性はセミリタイア生活を、より実のあるものにしてくれるはずだ!

結構分厚いが、取り上げられているトピックは、どれも掘り下げがいのあるものばかりである。もう少しいろいろ考えてみたい。
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